福岡地方裁判所小倉支部 昭和51年(モ)352号
債権者
有吉日出治
同
戸田秀人
同
渡辺忠
右債権者ら代理人弁護士
春山九州男
債務者
吉富製薬株式会社
右代表者代表取締役
中富義夫
右代理人弁護士
藤本正徳
同
小柳正之
主文
一、当裁判所が昭和五一年(ヨ)第五三号配置転換命令効力停止仮処分申請事件につき同年三月二五日なした仮処分決定を認可する。
二、訴訟費用は債務者の負担とする。
事実
第一、当事者の求めた裁判
債権者ら
主文同旨の判決
債務者
一、主文掲記の仮処分決定を取消す。
二、本件仮処分申請を却下する。
三、訴訟費用は債権者らの負担とする。
との判決
第二、当事者の主張
申請の理由
一、債務者(以下単に債務者又は会社という。)は昭和一五年設立された医薬品、化成品の製造販売を目的とする株式会社である。
二、債権者有吉日出治は昭和二六年豊前市に生れ、昭和四五年福岡県立苅田工業高校電気科を卒業と同時に会社に採用され、吉富工場技術部のコンピューター作業員、現場作業員を経て昭和五一年二月九日当時合成実験の業務に従事していたもの、債権者戸田秀人は昭和二〇年福岡県築上郡吉富町に生れ、昭和三八年大分県立中津東高校採鉱冶金科を卒業と同時に会社に採用され、吉富工場研究所の動物実験の補助業務を経て昭和五一年二月九日当時倉庫課において製品の受入、受渡作業に従事していたもの、債権者渡辺忠は昭和二三年豊前市に生れ、昭和四二年福岡県立築上農業高校を卒業と同時に会社に採用され、吉富工場の敷地内にあるルシドール吉富株式会社に出向し、昭和五一年二月九日当時有機過酸化物製造所の現場作業員としての業務に従事していたものである。
三、債権者らは昭和五一年二月九日会社から営業要員として配転を命ずる旨の辞令を受取った。
そして右通知に添付された転任者教育日程や口頭説明によれば、二月一六日から吉富工場での教育を受けた後二月二九日に大阪本社に単身赴任し、三月一日から同月一九日まで医薬品に関する専門教育を受けて三月一〇日発表される配属先に三月二二日までに出頭すべく義務づけられていた。
四、会社には吉富工場の外三重県に久寿工場があるが、前者は従業員一五〇〇名余を擁する会社の主力工場であって、医薬品および化成品の開発製造にあたり、全国の大学卒業者の中から採用される研究所の研究員(約四〇〇名)および社内の三年の教習所の課程を修了した者(これらの者は社内では短大卒扱いである。)は格別原料の受入れ、製造、梱包、倉庫保管等のいわゆる現業の作業は吉富町およびこれに隣接する地の高校卒業者の中から採用された従業員が担当し(中学卒業者はいない。)、これら従業員にとっては現場作業員を経てせいぜい職長の地位で停年を迎えるのが通常の職歴のコースであり、したがって高卒従業員で本店、支店などとの人事の交流はなかった。そして後者は増大する酸化防止剤等の需要に応ずるため昭和四三年に新設されたオートメーション方式の工場で従業員数も六〇名程度のものにすぎない。
他方販売部門としての営業所は大阪、東京、名古屋、札幌、福岡に所在し、更に各管内の都市に出張所があるが、営業要員の数は大阪三〇〇名、東京二〇〇名程度で、その大半はプロパー(医薬品の宣伝販売を担当する職種)である。
プロパーは総合病院や開業医を相手の医薬品のセールスが業務であるから、薬理その他の専門知識が必要であるのはもちろん一定水準の教養も要求され、その勤務は数年毎に営業所や出張所を転勤して歩くことになる。
このためプロパーには大学卒業者が多く、毎年直接本社で採用されている。
五、以上のような会社の従業員の実態から、債権者らを含む吉富工場の高卒従業員はほとんど地元出身者であって、両親を扶養し、家業の農業、漁業、商業を継いだり手伝う必要があって、地元を離れられない者、都会生活を嫌い地元の企業に勤めて平隠な人生を送ることを望む者が多く、これらの者は停年まで吉富工場で働く前提で就職しているのである。
他方このことは会社も当然予定しているものであって、債権者ら高卒従業員は本社ではなく吉富工場で採用され、雇傭契約の相手方も吉富工場長である。
会社と労働組合間の労働協約一九条によれば、会社が人事権を有することが確認され、右人事権の中に「異勤」も含まれてはいるが、しかしこれは吉富工場内における職種または勤務場所の変更を意味しているにすぎないものと解すべきである。
六、前記のような事実関係からみると、債権者らと会社間の労働契約は、勤務場所を吉富工場または同工場敷地内にある関連会社とし、職種を現場作業員に限ったものとみるべきであり、会社の営業要員としての配転命令は勤務場所および職種の点につき労働契約の内容を変更するものであるから、債権者らの同意がなければ効力を生じないものというべきところ、債権者らは同意をしていないのであるから会社は右配転命令を強行することはできない。
七、仮に右労働契約に勤務場所、職種について前記のような限定がなかったとしても、前記のような会社における従業員採用の実態、職種による勤務内容の差異、債権者らの個人的事情からすれば、本件配転命令は使用者の人事権に内在する限界を越えており、このような人事権の行使は債権者らの同意がない限り無効であるというべきである。
八、また仮に右主張に理由がなく、配転命令に債権者らの同意が必要ではないとしても、配転は労働者の生活関係に重大な影響をもたらすものであるから、労働関係上要請される信義誠実の原則に照して、合理的な制約に服すべきであり、その制限は業務上の必要の程度と労働者の生活関係への影響とを比較衡量して判断すべきところ、本件配転命令についてみるに、後記のとおり会社の配転の必要に比しこれによって蒙る債権者らの受ける生活関係上の不利益が著しく大きいのであるから、無効といわざるを得ない。
すなわち、本件配転にあたって、会社がどのような必要があって、配転するのか、また債権者らをどのような基準で配転要員に選んだかの説明が全くないのに対し、債権者らが営業要員になれば数年毎に各営業所を転勤し、再び吉富工場に帰ることはほとんど不可能であって、故郷を捨てなければならないというかけがえのない不利益を受ける外、債権者らにはつぎのような特殊な事情がある。
(一) 債権者有吉は昭和四七年父を失い、妻房枝、実母(六一才)および実弟(二二才)と四人家族で、兄と姉は外に出ていて、同債権者が母を扶養するとともに勤務の余暇を利用して八〇アールの田畑を耕作しなければならない立場にある。
加えて妻房枝も共に吉富工場に勤務し、二人の給料で生計を立てて来たのに、会社が配転後の同債権者の勤務先での妻の身分を保障しないため、同債権者が配転されれば別居生活をするか妻が退職するしかない。
なお、同債権者は現住所に永住する計画の下に、昭和四九年農協から三五〇万円を借用して家を改築し、毎年二回一七万円宛を返済しているところ、配転により右生活設計に重大な狂いを生ずる。
(二) 債権者戸田は三人兄弟であるが、弟妹は外に出ていて、同債権者夫婦が心不全等の病気を持つ父と左頸腕症候群等の病気をもつ母と同居し、妻に家業である漬物商を継がせてその収入を加えて両親を扶養しているところ、配転によって右生活関係が根本から覆ることになる。
(三) 債権者渡辺は妻、子供二人、両親および弟と同居しており、妹二人は別居しているところ、父は港の人夫として働いているが、月五ないし六万円の日給月給で身分保障が全くなく、母は高脂血圧症等で現在療養中である。また弟は高校一年在学中上級生の暴行に会い恐怖心から退校したまま現在も職につかず家に閉じこもっている。
右のような事情で両親は同債権者のみを頼りにしており、また配転されれば現在同債権者が主として耕作している三〇アールの畑も放置しなければならないし、妻の実家の農耕の手伝いも不可能になる。
九、前記のとおり会社の計画によると債権者らは昭和五一年二月二九日には大阪本社に出頭しなければならないことになっているから、右配転前の職場で勤務する地位を維持するためには速かな仮処分決定を得る必要がある。
答弁
一、申請の理由一ないし三は認める。
二、同四のうち、吉富工場が医薬品の開発、製造を行う会社の主力工場であること、久寿工場が債権者ら主張のような工場であること、これに対し営業部門として東京等債権者ら主張のような都市に営業所、出張所があること、プロパーが債権者ら主張のような職種であることは認めるがその余は争う。
吉富工場の従業員数は約一、三〇〇名、うち研究所研究員は約三〇〇名であり、営業要員は昭和五一年五月末日現在八一四名で、うちプロパーは三一三名、その余は営業内勤者である。
プロパーには高度の専門的知識は必要ではなく、社内教育によって習得可能な程度で充分であり、販売上専門的説明の必要のあるケースについては学術担当者がこれを行うことになっている。したがってプロパーには高校卒業者の数も少なくない。
三、同五ないし七のうち吉富工場の高卒従業員は本社ではなく工場で採用していること、労働協約中に債権者ら主張のような条項のあることは認めるがその余は争う。
およそ労働契約は労働者がその労働力の使用を包括的に使用者に委ねることを内容とするものであって、使用者は労働者の提供する労務について、その種類、態様、場所を適正に配置して使用する権限を有するものである。
したがって個別的労働契約において労務の種類、態様、場所を限定する特別の合意をしない限り、使用者がこれを決定する権限があり、使用者が業務上の必要から配転を命じた場合には労働者はこれに服する義務がある。
本件の場合、会社と債権者らとの労働契約上職種、勤務場所につき債権者ら主張のような特別の合意はなかったものである。
このことは債権者ら従業員は採用の際「入社後の勤務については会社の指示に従い、勤務地の如何を問わないこと。」との記載のある請書を差入れており、また就業規定三五条一項には「会社は都合により従業員の異動を行う。」と規定し、同条二項において異動には同項(4)の転任すなわち「現在所属している事業場から他の事業場に所属を移すこと」も含むものと規定し、債権者も主張するとおり、労働協約によって組合も会社の右人事権の行使を認めていることからも明らかなところである。
また吉富工場での現地採用者について、会社は昭和二〇年代後半から必要に応じて随時配転を実施して来ており、昭和四三年操業開始した久寿工場、大阪本社経理部、関連会社である千葉県所在の成和興産倉庫に配転したのを始め、昭和四六年には会社が製造販売していたチクロの製造が禁止になり、吉富工場に余剰人員が生じたことに伴い二七名を営業部門に配転し、昭和五〇年三月には六名(うち大卒二名)、同年八月に一一名(うち大卒七名)を配転し、今回の配転を除いても配転総数は九三名に達している。
四、同八のうち債権者有吉の同居家族構成、同人の妻が吉富工場に勤務していること、債権者戸田、同渡辺の家族構成は認めるがその余は争う。
債権者有吉の妻については、会社は同債権者の配転先で雇用し、同居できるよう社宅の提供方も確約ずみであり、また同債権者がプロパーになれば地域手当、プロパー手当その他の諸手当が支給され、収入が増加して同債権者の農協からの借金の返済は現在より容易になる筈である。
債権者戸田は会社の行った昭和五〇年三月の営業要員への配転の対象者になったのであるが、配転を拒否し、会社の苦情審議会に諮問された結果、同債権者が結婚を控えていた事情を考慮し、数ケ月間身辺整理の時間を与えた上で、配転命令に応ずるよう説得する旨の答申がでたいきさつがあった。
同九は争う。
五、会社が今回の配転を実施したのは、つぎのような緊急且つやむを得ない業務上の必要によるものであり、その人選にあたっても厳正、公平を期したものである。
(一) 最近の産業界の状況並びに会社の実情
昭和四八年一〇月の石油危機を契機として、日本経済は深刻な不況に直面し、幾多の景気刺激策にもかかわらず景気回復の見通し暗く、ために産業界も全般にその業績が悪化している現状である。
会社もその例外ではなく、需要の減退によって売上高が伸びなやむ反面、原材料費、人件費の高騰、在庫の増大、操業度の低下にともなう固定費等諸経費の増加によりここ数期経常利益が減少の一途を辿り、昭和五〇年上期においては前期比約五八%減、昭和四八年上期に対しては約七二%減まで低落し、また昭和五〇年三月末における製品在庫は、医薬品二・九か月、化成品六・三か月となり、業界における通常の在庫率である医薬品約一・五乃至二か月、化成品約一か月に比し異常な過剰在庫となったのである。
(二) 合理化諸対策
右の厳しい経営環境から会社は遂に操業の短縮を余儀なくされ、その結果相当数の余剰人員が発生するに至ったため組織の簡素化をはじめ各部門における経費の節減はもとより工程配置の適正化、製法の改善・効率化等種々の努力を続けるかたわら雇用調整においても次のような合理化対策を実施したのである。
(1) 一時帰休
吉富工場
昭和五〇年三月から同一〇月まで
延人員 三、三六一人
延日数 一二、二〇七日
久寿工場
昭和五〇年七月及び八月
延人員 八五人
延日数 三九六日
(2) 配置転換
医薬品販売部門強化のため生産部門、管理部門等より次の人員を販売部門へ配置転換を実施した。
昭和五〇年四月 二〇名(本社一四名、吉富工場六名)
同年九月 二五名(本社一四名、吉富工場一一名)
昭和五一年三月(今回) 二八名(本社五名、吉富工場二三名)
会社は元来武田薬品工業株式会社の系列会社として設立され、製品は同会社を総販売元とし、同社の特約店を通じて販売されて来たため、販売力が弱体であった。
そこで業績向上のため、会社はここ数年来販売力の増強のため営業要員を増員して来た。
(3) 採用中止
昭和五一年度においては本社、工場ともに補充はもとより新規採用も大学卒販売要員を除いては全然これを行なわなかった。
(4) 自宅待機
昭和五〇年三月は高卒男子は全く採用せず、退職者補充のため採用した高卒女子も次のとおり自宅待機を行なった。
吉富工場 六〇名について三月一六日より一か月間
本社 八名について三月一六日より六月一五日まで三か月間
(5) 定年後再雇用者の契約打切り
吉富工場における昭和四五、四六年度の定年後の再雇用者一六名について昭和五〇年三月一五日をもって雇用契約を打切った。
(6) パートタイマーの解雇
吉富工場包装作業員として採用したパートタイマーは昭和五〇年三月までに二五名全員を解雇した。
(三) 本件配転の必要性
会社は昭和五〇年初頭より以上のような合理化諸対策を実施して来たのであるが依然として業績回復の見込みはなく、経営はますます悪化するので更に強力な対応策を迫られるに至った。
そして人員整理を極力避ける建前から種々検討を重ねた結果、生産部門、その他に生じている余剰人員を営業要員として配置転換を行なうことが必要となり、昭和五〇年四月、同年九月の二回にわたる販売部門への配置転換に次いで今回の配置転換を実施することとなったのである。
(四) 配置転換の実施
会社は先づ営業部門の強化に必要な人員を決定し、(吉富工場からの配転人員は二三名と決定された。)これに配転する各個人の適性および生活事情等を公平に考慮するため厳正な配転選考基準を設け、吉富工場勤労課において年令三五才以下の男子約五〇〇名について入社時の家族状況および適性検査等を参考資料として各人毎の検討を行ない、一方これと並行して各部に対してはその責任者に配転人員の約倍数(四七名)に当たる営業要員としての適格者の推薦を求め、この被推薦者とさきに勤労課で検討した結果を照合したところ、選考基準に照らし特に問題となる人選はなかったので、この四七名を第一次選考対象者と決定した。
更に右の四七名から配転要員二三名を選考するため各関係部長をもって構成する選考会議を開催し、その間家庭の状況等をも併せて調査し昭和五一年一月三〇日債権者らを含む二三名の選考を終了したのである。
この間、会社は労働組合との間に五回にわたり吉富地区事業場労使懇談会を開催して話し合につとめる一方、配転について苦情を申し立てたものに対しては労働協約第二〇条以下の規定に従い、三回にわたって苦情審議会を開催する等円満な解決の努力を続けたのである。
なお、右配転の実施については吉富製薬労働組合においても会社の厳しい環境を十分認識し、先の一時帰休をはじめとする合理化諸対策と共に止むを得ない措置として協力を言明していたのである。
債務者の主張に対する債権者らの答弁および主張
一、就業規定三五条に会社主張のような「転任」に関する規定の存在すること、昭和四六年一一月に吉富工場勤務の二七名の高卒従業員を営業要員に配転したことは認めるが、その余は争う。
右配転はチクロの製造禁止という予期せぬ事態収拾のためであり、またそれ以前にも配転のなされたことがあるとしても、それは労働者の同意をとりつけて行った抜てきであったとみるべきである。
したがって、前記のような就業規定は、少なくとも債権者ら高卒従業員にとっては例文にすぎず、債権者の労働契約が職種、勤務場所を特定した合意であったことに変りはない。
二、昭和四六年一一月配転された二七名のうち一〇名はすでに退職し、残りの一七名中現在でもプロパーとして働いている者は五名にすぎない。
このことは高卒の現場従業員とプロパーとの間に職務上克服することのできない異質性、不適合性、交流の困難性のある証左である。
三、なお、会社は昭和五一年度決算において前年比二・四倍、二三億五、〇〇〇万円の経常利益をあげ、売上げも飛躍的に増大し、吉富工場の操業度も回復した。
したがって、本件配転当時会社主張のような配転の必要性があったとしても、それは現在では消滅に帰した。
第三、証拠(略)
理由
一、債務者が昭和一五年に設立された医薬品、化成品の製造販売を目的とする会社であって、大阪に本社を置き、製造部門として福岡県築上郡吉富町に吉富工場および三重県に久寿工場を、販売部門として大阪、東京、名古屋、札幌、福岡の各都市に営業所、その他の都市に出張所を有すること、右工場のうち吉富工場が医薬品、化成品の開発製造にあたる主力工場であるのに対し、久寿工場は昭和四三年新設された化成品中の酸化防止剤等の製造を目的とする従業員数約六〇名の小規模な工場であること、吉富工場勤務の高卒従業員は本社ではなく右工場で現地採用されていること、債権者らがその主張のころ主張の高校を卒業すると同時に従業員として採用され、以来吉富工場およびその敷地内にある関連会社であるルシドール吉富株式会社において現場作業員や研究所補助要員などとして勤務していたところ、昭和五一年二月九日付をもって医薬品等の宣伝販売を職務とするプロパーを含む営業要員として配転を命ずる旨の辞令を受取ったことは何れも当事者間に争いがない。
二、(証拠略)を総合すればつぎの事実を認めることができる。
(一) 会社の総従業員数約二、一七〇名のうち、吉富工場の従業員数は約一、四二〇名という多数を占めること
(二) 吉富工場の従業員中、大学卒で本社採用の研究所研究員ならびに高卒で現地採用の従業員のうち社内で短大卒の取扱いを受ける教習所の教習課程修了者には管理職への道が開かれているが、大多数(一、〇〇〇名を超える。)を占めるその他の高卒従業員(中卒者は採用されていない。)は薬品の製造、製剤、保管等の現場作業や研究所の補助業務に従事し、せいぜい職長まで昇進して停年を迎えるというのが通常の職歴コースであること、これら従業員の大部分は地元の高校の卒業者であって、両親と同居し、自ら勤務の余暇を利用して家業である農業や商業に従事し、或は妻などに従事させており、入社の際将来他の事業場へ配転になることなど予想する者はおらず、また中途で退社する者は少なく定着率は九五パーセントを超えること
(三) 他方医薬品等の販売を職務とするプロパーを含む営業要員は各営業所や出張所に配置されていること、武田薬品工業株式会社を総販売元とし現在でも製品の八〇パーセントを同会社の特約店を通じて販売している会社が、業績向上のため、近年独自の販売強化策をとっていることから、プロパーの数は増加しつつあるが、昭和五一年二月末現在約二九〇名であること、プロパーには左程高度な薬理の専門的知識は必要ではなく、むしろ誠実さや根性が必要とされるけれども、前記二九〇名のプロパーのうち高卒は約四〇名にすぎず、他は大学卒であり、後記(六)の配転者を除きすべて本社で採用されて来たこと
(四) 吉富工場の高卒従業員中後記(六)の2記載のいきさつで昭和四六年一一月ごろ二七名が営業要員として配転されたが、今日までに一〇名が退職し、残りの一七名中現在もプロパーとして勤務している者は五名にすぎないこと、また同(六)の3記載のいきさつで昭和五一年二月債権者らとともに営業要員として配転された二三名のうちすでに二名が退職していること
(五) 会社が昭和五〇年末ごろ不況対策の一環として吉富工場の高卒従業員を営業要員として配転することを計画しているとして協力を求められた吉富製薬労働組合は協力を約したけれども、しかしその条件として、人選にあたって個々の従業員の家庭の事情を考慮することを要請したこと、会社が営業要員として人選をした二三名のうち債権者らを含めて六名が家庭の事情を理由に配転に不服として苦情処理審議会に異議を申立てたこと
(六) これまで吉富工場の高卒従業員で他部門への配転例はつぎのとおりであること。
1 昭和二七年四月から昭和四六年三月までの間に営業要員として一一名が配転されたが、その大部分は教習所修了者で占められ、現在管理職の地位にある者が相当数いること
2 昭和四六年一一月ごろ会社が製造していたチクロの製造禁止に伴う余剰人員吸収のため営業要員として二七名が配転されたこと
3 昭和四八年の石油ショック以来の業績不振による生産部門の余剰人員吸収策の一環として昭和五〇年三月に四名、同年九月に五名、そして昭和五一年二月に債権者らを含めて二三名が営業要員として配転されたこと
4 昭和四三年久寿工場が新設されてから昭和五〇年三月までの間に三五名が同工場の現場作業員として配転されたこと
5 昭和二六年八月から昭和五一年二月までの間に本社への配転や関連会社である成和興産株式会社の千葉県柏倉庫への出向を含めると一二名になること
(七) 会社の就業規定(就業規則)三五条一項は「会社の都合により従業員の異動を行う。」との条項であり、右異動の中には同条二項四号の「転任すなわち現在所属している事業場から他の事業場に所属を移すこと。」が含まれていること、債権者らが高校在学中に会社への入社を希望してなした手続の一環として提出した書類の中に「入社後の勤務については会社の指示にしたがい、勤務地の如何を問わないこと。」と記載した請書が含まれていること。
三、およそ、職種や就労場所が限定された労働契約が締結されたものと認められる場合には、使用者は労働者の同意のない限り、右契約で予定された範囲を超えて配転等の労務指揮権を行使することはできないものと解すべきである。
四、そこで債権者らを含む吉富工場の高卒従業員(教習所の課程の修了者を除く。)の労働契約についてこれをみると、黙示的なものではあるが、就労場所を右工場および同工場敷地内の関連会社とし、したがって職種は現場作業や研究所の補助業務等に限定されたものであったものと認めるのが相当である。
すでにみたように、従来から吉富工場の高卒従業員は本社直接ではなく、工場で現地採用され、これら従業員は停年まで同工場や工場敷地内にある関連会社の現場作業や研究所の補助業務に従事するのが通常であり、右のような採用ないし勤務の実態から、従業員には地元の高校を卒業し、両親と同居したり、勤務の傍ら家業である農業等に従事し、したがって地元を離れることの困難な者が多かったこと、そして以上のような従業員と、全国の都市にある営業所や出張所に配属され、商品の宣伝販売を職務とするプロパーを含む営業要員との職務内容ないし職務環境上のへだたりが如何に大きなものであるかは、元来定着率の高い吉富工場の高卒従業員中昭和四六年一一月および昭和五一年二月に営業要員として配転された者が大量に退職して行ったばかりでなく、現在もプロパーの職務に従事している者が少ない事実が裏付けているものであり、したがって会社の今回の配転計画への協力申入れに対して組合が対象者の個人的事情を考慮に入れて人選するとの条件を付して右申入れを受入れたのも、右のような吉富工場従業員の勤務の実態を考慮したためであると推認するのが相当であり、他方営業要員の大部分が大学卒であり、新規採用は一貫して直接本社でなされていた等吉富工場の高卒従業員との差異に着目すれば吉富工場従業員の労働契約は前記のような黙示の限定のなされたものであったものといわざるを得ず、以上の観点からすれば、これら従業員で入社の際将来他の事業場に配転されることを予想する者はいなかったという事情も首肯できるところである。
五、もっとも従来吉富工場従業員の他事業所への配転例がないわけではないことはすでに認定したとおりである。
しかしそのうち昭和四六年一一月および昭和五〇年三月から昭和五一年二月までの合計五九名の営業要員への配転はチクロの生産停止および不況による生産調整という予期しない事態に対処するための臨時的、例外的な措置と認めるべきであって、これをもって配転の前例とみることはできないものというべく、また昭和四六年三月までの一一名の営業要員への配転は大部分が社内では短大卒の取扱いを受ける教習所出身者であって、本人の同意を得た抜てきとみるのが相当である。
つぎに久寿工場への三五名の配転は職種に変更はなく就労場所のみの変更を伴うものであって、これも本人の同意を得たものと推認できないわけではなく、仮にそうではないとしても、その他の一二名の配転例と合せても四七名であって、一、〇〇〇名を超える吉富工場の高卒従業員の過去二五年間における配転の数としては極めて稀な例というべく、この事実が吉富工場の高卒従業員の労働契約に就労場所、職種上の限定があったとする冒頭認定を妨げるものではないものというべきである。
六、つぎに前記のような吉富工場の高卒従業員の勤務の実態に鑑み、会社の就業規定の転任に関する条項は少なくとも右従業員には適用がないものとみるべきであり、また債権者らの差入れた請書は入社に際して何れの事業場への勤務を命ぜられても異議のないことを誓約したのみで、一旦吉富工場に採用されて後配転されることまで予定したものとみることはできない。
七、以上みて来たとおり会社と債権者らとの労働契約は職種、就労場所を限定したものであり、債権者らが昭和五一年二月九日付の配転に同意していないことは弁論の全趣旨に徴して明らかであるから、その余の点につき判断するまでもなく、右配転命令は効力を生ずるに由なきものというべきである。
八、本件配転は債権者らの職種の変更をもたらし、且つ遠隔の地に勤務しなければならないものであるところ、早急に右配転命令の効力が停止されなければ債権者らが多大な損害を受けることは明らかであって、保全の必要性が認められる。
九、してみると債権者らの本件仮処分申請を容れた昭和五一年二月二五日付の仮処分決定を認可すべく、民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 諸江田鶴雄 裁判官 谷敏行 裁判官佐藤敏夫は転勤のため署名押印することができない。裁判長裁判官 諸江田鶴雄)
参考命令
(福岡地労委昭53・10・9命令昭52(不)一一号)
【命令書】
申立人 有吉日出治
申立人 戸田秀人
申立人 渡辺忠
被申立人 吉富製薬株式会社
代表取締役 愛甲軍雄
被申立人 吉富製薬株式会社吉富工場
工場長 上野英一
上記当事者間の福岡労委昭和五二年(不)第一一号不当労働行為救済申立事件について、当委員会は、昭和五三年一〇月九日公益委員会議において合議のうえ、次のとおり命令する。
主文
1 被申立人は、昭和五一年四月の申立人有吉日出治、渡辺忠及び戸田秀人に対する月額各三、〇〇〇円の本給昇給決定を撤回し、同日に遡って申立人有吉日出治に対しては本給昇給月額五、四〇〇円、同渡辺忠及び戸田秀人に対しては何れも本給昇給月額五、五〇〇円の本給昇給を昇給させ昭和五一年四月以降その未払差額の存する限りその差額を支給しなければならない。
2 被申立人は、下記の陳謝文を、本命令交付の日から一週間以内に、縦一メートル、横二メートルの白紙に明瞭に墨書し、被申立人会社及び被申立人吉富工場構内の従業員の見易すい場所に一週間掲示しなければならない。
記
有吉日出治 殿
渡辺忠 殿
戸田秀人 殿
吉富製薬株式会社
代表取締役 愛甲軍雄
吉富製薬株式会社吉富工場
工場長 上野英一
被申立人が、吉富製薬労働組合の組合員有吉日出治、渡辺忠及び戸田秀人に対して行なった昭和五一年度本給昇給決定は、福岡県地方労働委員会の命令により不当労働行為であると判定されましたので、遺憾の意を表するとともに速やかに是正いたします。
昭和 年 月 日
第1 認定した事実
1 当事者
(1) 被申立人吉富製薬株式会社は、昭和一五年に設立された医薬品、化成品の製造販売を目的とした会社で、大阪に本社、福岡県築上郡吉富町に吉富工場、三重県三重郡楠町に久寿工場、大阪、東京、名古屋、札幌、福岡の各都市に営業所を置き、二、一六九名の従業員を擁する会社である。
(2) 被申立人吉富製薬株式会社吉富工場は、上記被申立人会社の主力工場で、約一、六〇〇名の従業員を有している。
(3) 申立人有吉日出治は、昭和二六年福岡県豊前市に生れ、昭和四五年福岡県苅田工業高校電気科を卒業と同時に被申立人会社に入社し、吉富工場でコンピューター作業等の現場作業に従事していた。
(4) 申立人戸田秀人は、昭和二〇年福岡県築上郡吉富町に生れ、昭和三八年大分県立中津東高校採鉱冶金科を卒業と同時に被申立人会社に入社し、吉富工場倉庫課において製品の受入、受渡作業に従事していた。
(5) 申立人渡辺忠は、昭和二三年豊前市に生れ、昭和四二年福岡県立築上農業高校を卒業と同時に被申立人会社に入社し、在籍のまま、吉富工場の敷地内にあるルシドール吉富株式会社に出向し、有機過酸化物製造所において危険物の現場作業員としての業務に従事していた。
しかして、申立人ら三名は、いずれも全国化学一般労働組合同盟に加盟する吉富製薬労働組合(以下「組合」という。)の組合員である。
2 申立人らに対する配転命令と仮処分決定について
(1) 被申立人は、企業の合理化及び医薬品の販売を増強する方策の一環として、昭和五一年二月九日申立人ら三名を含む吉富工場高校卒の従業員二三名に対して営業要員として転勤を発令した。
営業要員とは、プロパー、すなわち病院等を相手に医薬品の宣伝販売にあたる職種であるが、相当高度の専門的知識を要するため大学卒業者が大部分で、もともと大阪本社で採用されていた。
(2) ところが、申立人ら吉富工場の従業員は、大部分が地元出身者で、現地の吉富工場で採用され、農業等の家業を兼業している者、あるいは長男で家を離れられないという事情の者が多く、また営業要員になれば、従来の技術職とは職種も異なり、転勤も多いので、再び吉富工場に帰れるとは期待し得ない等の理由から、申立人ら三名は、被申立人の配転命令はあまりに申立人らの意思及び家庭の事情を無視しているとして、組合の実質的指令と全面的援助のもとに、被申立人会社を相手に昭和五一年二月二五日福岡地方裁判所小倉支部に前記配転命令の効力停止を求める仮処分(同庁昭和五一年(ヨ)第五三号事件)を申請した。そして、同裁判所は、同年三月二五日「被申請人が昭和五一年二月九日申請人らに対してなした営業要員として転任を命ずる旨の意思表示について、その効力を停止する。」との決定をなした。これに対し被申立人会社は異議申立をなし、右異議事件(同庁昭和五一年(モ)第三五二号事件)についても、昭和五三年六月五日前記仮処分決定を認可する旨の判決があったが、被申立人会社は福岡高等裁判所に控訴を提起し、現在係争中である。
組合は、この間申立人らの裁判に必要な資料の作成・提出、弁護士の依頼、訴訟費用の組合カンパ並びに組合員及び友誼団体に対する支援呼びかけ等を一貫して行なってきている。
3 自宅待機について
(1) 申立人ら三名は、前記のとおり昭和五一年二月二五日仮処分の申請をしたのであるが、被申立人から同年二月二九日までに大阪に赴任するように命じられていたため、早急に仮処分決定が出るよう裁判所に求めたところ、担当裁判長の仲介によって、被申立人から「仮処分決定が出るまで申立人ら三名は自宅待機をするように」との回答がなされたので、これに従い申立人ら三名は自宅待機をしていた。
(2) 昭和五一年三月二五日前記仮処分決定後、被申立人は申立人ら三名に更に自宅待機を命じたので、組合及び申立人ら三名は再三にわたって職場復帰を要求したが、被申立人は拒否したため、組合は、前記仮処分決定は原職復帰を認めたものだとして、同年五月七日から四日間申立人ら三名に旧職場に強行就労するように指令し、その第一日目において組合執行委員とともに職場に入ろうとした申立人ら三名に対し、被申立人は実力で阻止し、二日目以降は、被申立人は実力阻止はやめたものの職場で仕事を与えず、申立人らは終日机に着いているだけという状態であったが、被申立人から六月から就労できるようにするとの話が出されたので、その後強行就労を中止していたところ、同年六月七日に至り被申立人は、申立人ら三名のうち、戸田に対しては原職の倉庫係勤務を命じたが、有吉に対しては新たな職場である製造部回収センター勤務、渡辺に対しては新たな職場である環境部安全課勤務を命じ、以後申立人らはこれらの職場で就労している。
4 申立人らに対する考課査定について
(1) 被申立人会社の賃金体系は、基準内賃金と基準外賃金からなり、基準内賃金は、基準賃金、家族手当及び住宅手当で構成され、更に基準賃金は、本給と職務手当の合計額からなり、所定の勤務に対して月をもって支払われる賃金で職種系統別に区分した職級ごとに決定される。査定によって決定されるのは、この基準賃金である。
本給は、担当職務について発揮される本人の能力及び努力を評定して決定され、職務手当は、職級に対して定額で支払われる賃金で、本給の査定は毎年四月、職級の査定は毎年一月に実施され、本給、職務手当の昇給額、その比率等を労使協定のうえ、毎年四月(五月一〇日支給)に本給、職務手当が決定され支給されている。
(2) 昭和五一年度の労使協定に基づく定期昇給(本給、職務手当)の組合員平均額は九、三〇〇円、最低保証額は五、五〇〇円であった。この定期昇給における申立人ら三名及び申立人ら三名と各同期入社(高校卒男子に限る。)の従業員の本給、職務手当の査定額は、次表のとおりである。
<省略>
これによると、昭和五一年度の申立人ら三名の本給の昇給額は、いずれも月額三、〇〇〇円で、有吉の場合は同期の者の平均昇給額と比較して二、四〇〇円低額であり、渡辺と戸田の場合は同期の者の平均額五、五〇〇円と比較すると二、五〇〇円低額である。
なお、申立人らはいずれも入社以来真面目に勤務し、昭和五〇年度までは同期の者とほとんど定期昇給額の差はなかった。
第2 判断及び法律上の根拠
申立人らは、申立人らの配置転換命令効力停止仮処分申請は、申立人らの加入する組合の実質的指令と全面的支援のもとに組合活動の一環としてなされたものであり、被申立人の申立人らに対する昭和五一年四月実施の本給査定において同期の者との間に差を設けたのは、申立人らの配転拒否及び前記仮処分申請に対する報復措置としてなされたものであるから、労働組合法第七条第一号の不当労働行為であると主張し、被申立人は、昭和五一年度実施の本給査定において申立人らと同期の者との間に申立人ら主張のような差のあることは認めながらも、申立人らの仮処分申請は組合活動の一環としてなされたものではない、被申立人としては、申立人らが配転を拒否したことにより申立人らは余剰人員となり、企業に対する貢献度が期待されなくなったので、同期の者との昇給に差を生じたものであると主張するので、この点について判断する。
1 申立人ら三名の前記配転命令効力停止仮処分申請は申立人ら個人の名前で提起されているが、申立人らはいずれも吉富製薬労働組合の組合員であり、組合は申立人らの右仮処分の申請に当っては、これを提起するように指導し、現在まで申立人らの裁判に必要な資料の作成・提出、弁護士の依頼、訴訟費用の負担等あらゆる面での援助を行なっているものであるから、申立人らの右行為は組合活動の一環としてなされたものと認めるのが相当である。
2 次に、申立人らは、いずれも入社以来真面目に勤務し、昭和五〇年度までは同期の者と定期昇給においてほとんど差はなかったものである。被申立人は昭和五一年二月九日申立人らに対して営業要員として配転命令を出し、同月二九日までに大阪に赴任するように命じたが、申立人らはこれを拒否したので、申立人らはそれ以後被申立人にとっては余剰人員となり、被申立人に対する貢献度が期待されなくなったので、昭和五一年度の本給査定について同期の者との昇給に差を生じても当然であると主張するが、被申立人会社の本給査定は毎年四月に額が決定し、本人に対しては五月一〇日に支給されるものであるところ、福岡地方裁判所の前記仮処分決定は昭和五一年三月二五日になされている。そして「被申請人が昭和五一年二月九日申請人らに対してなした営業要員として転任を命ずる旨の意思表示について、その効力を停止する。」との決定の趣旨は、原状回復、すなわち原職復帰を命じたものと解せられる。ところが、被申立人は申立人らに対して自宅待機を命じたので、申立人らは組合の支援を得て旧職場に強行就労をしようとしたが、被申立人に阻まれ、職場で仕事をすることができず、その後強行就労を中止していたところ、同年六月七日に至り、被申立人は、申立人ら三名のうち、戸田に対しては原職に、他の二名に対しては新たな職場に就かせ、申立人らはこれらの職場で就労している。
以上認定の事実によると、申立人らは、裁判所のなした仮処分決定に従い、被申立人に対して従来どおりの労務を提供しようとする意思と能力を有していたものであるところ、被申立人は、申立人らの労務の提供を拒否し、被申立人の都合による自宅待機を命じておきながら、被申立人としては申立人らに対しては従来のような企業に対する貢献度を期待できないとして、昭和五一年四月に査定された定期昇給の本給査定において、同期の者との間に前記のような差別を行なったことは不当というべきである。
結局被申立人が申立人ら三名に対してなした昇給差別は、申立人らが被申立人の配転命令を拒否し、組合活動の一環としてなした仮処分申請等一連の行為に対する報復的措置としてなされたものと解せられるから、右は労働組合法第七条第一号の不利益取扱に該当するものと判断する。
昭和五二年度以降の昇給については新たな差別が累積している事実はないけれども、昭和五一年四月の差別的昇給決定はその後も是正回復されることなく今日に至るまでその差別は持続している。
したがって、本件救済命令は、昭和五一年四月実施の差別ある本給昇給を撤回し、改めて同日付をもって差別なき金額、すなわち申立人有吉日出治に対しては五、四〇〇円、同渡辺忠及び戸田秀人に対してはそれぞれ五、五〇〇円の本給昇給をなし、かつ、同日以後その未払差額の存する限りその差額の支払を命ずることを相当とする。
なお、本件については主文掲記のような陳謝文の掲示を命ずるを相当と認め、労働組合法第二七条及び労働委員会規則第四三条の規定により、主文のとおり命令する。
昭和五三年一〇月九日
福岡県地方労働委員会
会長 副島次郎